昨年9月に、私が障害者福祉に係わるきっかけを作ってくださったMさんという方が亡くなりました。
そして先日、その方の思い出を語る会に出席しました。
30余年前、私はテレビ会社で秘書として働いていましたが、自分の本当にやりたいことが他にあるのではないだろうかと思っていました。
そこで、障害児保育をしている保育園でボランティアを始めました。
そうした中で、Mさんのボランティアをすることになりました。
彼は交通事故で首から下が動かない「頚椎損傷」でした。
とても重い障害でしたが、彼は電動車いすで1人で電車に乗って街づくりの運動をしていました。そして、障害者運動のリーダーとなりました。
30年前のMさんたちが行った運動によって、現在のバリアフリー法を創られ、誰もが街に出かけられるようになりました。
思い出を語る会では、頚椎損傷歴50余年いう方が、若い障害者の人材育成に努められていたMさんへの想いを語られていました。
『 今のバリアフリーの社会は30余年前からのMさんたちの運動によって成り立っています。
だから、今現在の障害当事者が運動することも将来の世代のために行われているものです。
今でも頚椎損傷の人は病院から3か月で出されて、本人は障害受容も出来ずに家に帰されるか、施設のたらい回しになるという現状があります。
だからこそ、障害者運動を続けていかないとすぐ逆戻りの社会となってしまします。』
当時ボランティアとしてMさんから学んだ多くのことが、今の私の八王子で運動の基盤となっています。
障害者運動は、手を抜いてしまったり、諦めてしまうと、障害のある人が街に出にくくなってしまったり、家族が大変な思いで介護し続けることになります。
障害者運動は、障害当事者と、そのことを一緒に考えている人たちが続けていくものです。
私はこれからもMさんのことを忘れずに引き継いでいきたいと思いました。
NPO法人 若駒ライフサポート
理事長 大須賀裕子