NPO法人 若駒ライフサポート

私たちは「どんなに障がいが重くても」生まれ育った街・地域で暮らせることを願って、
多くの皆様にご理解ご支援をいただきながら運動しています。

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ブログ『夏休みの報告』

投稿日:2014年10月4日(土)

 今年定年を迎えて初めて、二週間以上の長期休暇を取りました。九州の大分・福岡・長崎を廻って

来ました。予定を立てずに、九州に着いてから行きたいところを予約しての旅だったので、楽しく過

ごすことが出来ました。行き当たりばったりの旅は私の生き方に似ていておもしろいものです。それ

ぞれの地域で人と出会い、その地域の歴史も知り、これからの第二の人生についても考えることが出

来ました。
 
 旅先であったエピソードを紹介します。長崎・五島列島の一つ、福江島からフェリーで長崎に帰る

船の中で、若い女性障がい者とその人の祖母と出会いました。

 丁度そのフェリーは学生が多く乗っていて込み合っていました。私が座っていた所から通路側に大

きなリュックサックを背負った知的障がいのあると思われる女性が、誰かを待っているかのようにう

ろうろしていました。椅子が空いているので座れば良いのに大勢の学生の中にいました。

 私の友人が見かねてその女性に手招きすると、彼女は私たちの椅子の隣に座りました。しかし、大

きなリュックは背負ったままでした。

 すると、暫くしておばあさんが来ました。訛りがありよく分からない言葉もありましたが、要約す

ると、「送りに来てくれるはずの人が来なかったので、チケットを買うのに大変だった。」「その為

に孫を先に乗せてから自分が乗ってきた。」「母親が病気になったので、孫の世話を二年間見ていた

が、市の人から施設を紹介してもらってこれからその施設へ行くことになった。」と話してくれまし

た。

 その女性はやっと重いリュックを降ろして私たちの話を聞いていました。彼女は軽度の知的障害者

で、身の回りのことは一人でできるとおばあさんは言っていました。市役所の人が紹介してくれたと

感謝していましたが、その手続きが大変だったようです。

 偶然の出会いでしたが、離島で暮らす障がい者は、家族が見られなくなったら施設へ入るしか生活

の選択肢はないのかもしれない、という現実を知りました。

 話しを聞いている中で、おばあさんのお手伝いもしてきっと彼女は楽しく暮らしていたのではない

かと想像出来ました。東京にいたら、きっとグループホームで暮らせるような人です。女性が背負っ

ていたリュックから沢山の栗を取り出して私にくれました。そして、家で取れたシソももらいまし

た。おばあさんは私が親切に孫を見てくれたことを大変喜んでくれました。私はただお孫さんの側に

居ただけで、おばあさんの苦労話しを長崎に着くまで3時間近く聞いていました。
 
 障がい者は住んでいる地域や生活環境によってその人の生き方も決められてしまうこと、そして、

障害者自身が自由な生き方を選択するにはそのモデルがいないと変えることが大変難しいことだと思

いました。「生まれ育った地域で楽しく暮らそう」と地域支援をしてきている私たち法人は、介護す

る家族が居なくなっても地域で仲間と暮らせる支援をしていることを少し誇りに思いました。
 
 今回の旅で、忘れられない出会いとなりました。
 
 
仮認定NPO法人若駒ライフサポート

理事長 大須賀裕子

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